あとがきにかえて

 当初の予定を倍以上超えて、2年もかかってようやく終了しました。
もっと全体をコンパクトにする予定だったのが、
実際にはそれには収まらないスケール、説明せねばならない事項の数々
気付けば話はどんどん膨らんで行き、それに伴い、ストーリーや キャラクターの魅力もどんどん増していきましたが
作業量もグンと増えることに…
とは言え、当初から12、3話程度と考えていたので、
話数的には予定通りと言った感じです。

 御覧の通り、この物語は決して明るい内容とは言えず、
重苦しかったり、不快に感じる場面もあったことと思います。
もし、それを感じたのなら、それは正常です。
ですが、この物語は、不快に感じさせることを目的としたものではありません。
端的に言えば、人間は血と肉の塊を、皮膚という袋に包んで隠したもので、
袋を破れば、たちまち血が噴き出し肉がこぼれるスプラッタグッズなのです。
そんなスプラッタグッズが今日もうごめき、社会を形作る、それがこの世の中です。
この社会の均衡が少しでも崩れれば、この世のどんな物語でも表現しえない
恐ろしい光景に出会わざるを得ないことになってしまうのも現実の一つなのです。
皮を破るまでもなく、人の醜さに出会ってしまう場面は多々あります。
その、醜さを持った人を恨んでしまえばその場は精神を落ちつけられるかもしれません
その場を我慢しさえすれば何とかなるという幻想を持つこともあるでしょう。
ですが、その醜さこそ、人を人たらしめる要素の一つであることを忘れてはいけないのです。
もし、あなたが誰かを好きになったり、尊敬したりするのなら、
その人にも多くの人同様、直視に耐えない醜さを併せ持った存在であること、
その醜さを丸々抱き込んでその人を愛さねばならないこと、忘れてはなりません。
逆に、誰かの醜さを垣間見て、その人が嫌いになったとして、
その人と同様の醜さを、あなたの好きな人や、あなた自身が持っているとしたら
ただのお笑い種ですね。

 人は、人の中でしか生きられません。社会を作るのは人の生存本能の為せる業とも言えます。
だから、社会をより良いものにする、という考えを持つのは極めて自然なのです。
ですが、「良い社会」を築くと、外にある「あまり良くない社会」や「悪い社会」が
それに対し妬みを持つのも当然のことなのです。
そこで、「社会」同士のトラブルが起こります。
ここでいう「社会」は決して国単位の話だけではなく、自治体、狭い世間、隣近所との関係、
一対一の人間関係でも当てはまります。
「良い社会」とか「悪い社会」とかとも書きましたが、何をもって良い悪いとするかは
場合によって違います。自分の社会を「悪い社会」と思っていても、
傍から見れば「良い社会」なんてことはよくある話でしょう。
だから、何が不満かわからないところから突然不満の声が上がったりもするわけです。
相手の良し悪しを自分の狭い了見で決めつけていれば、それは充分トラブルの種です。
この世の中、そんなトラブルの種があちこちに転がっています。
スプラッタ袋に穴をあける隠しナイフがあちこちに仕掛けられています。

傷つかないで生きていけると思ってませんか?
醜いものを見ずに生きていけると思っていませんか?
愛する人のことは絶対に傷つけないとか思ってませんか?
いつか全ての人が幸せになれるとか思っていませんか?

それらのことが不可能だとわかってしまい絶望したりしていませんか?

 

 

2010 微妙に二日酔い ゑびす

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